画像は1ミリの10分の1くらいの小さな種から育ったトルコ桔梗。玄関先で蕾ができました!すごいなー。。。
さて、数日今年の大作を描くのを休んでいました。気持ちを決めないと。。
絵描きの眼は、都合よくできているなぁ、とつくづく思います。
山を描きに行ってスケッチしたなら。。
写生なんだけど、都合よく感動が作用して山を大きく描いていたり、実際にあるものを結構好き勝手に省いたりしてます。
写真より絵の方が面白く見えるのは自分が好きな方へと変えているからだと思います。
花を描く時も当たり前に見えている形やなんかを変えている。細かいところもどんどん省略して、2つ3つ、花を繋げてしまったりもします。
私は花瓶の下をまっすぐに描いたりします。自分としてはそんなに不自然に思わなかったけど、この間、わざとですか?と聞かれました。
完全に遠近法からいうと間違っているけど直す気には全くならない。
人物も、長く描くし、足も少し小さく描きます。空間を広く描いたりはいつもしています。大嘘なんです。
顔も、たまに片方の目をほぼ消したりもする。手も服の中に消えかかったりもします。
絵を描く時は冷静ではいられないのです。熱いものを冷まして、辻褄を合わせて実際に近くしなくてもいいと思う。そんなことをしたら自由もなく、自分にとってその絵は面白くなくなってしまいます。
感覚、直感的に絵に必要なことを探していく方が正直です。
「見えているはず」が視覚的には正解だとして修正したとしたら、正直ではない。
実際は描いたときは自然とこうなったと言う方が近いけれど、素直に正直に面白いという方を選択すればきっとそのままの方が面白い絵になるんじゃないかしら。
山を見えた通りに小さく描いたり、花瓶の下を遠近法通りに丸く描いたり、人物を寸法通りに描いたりすることが絵を描くことの正解ではないと思います。私は、そういう考えです。
感動して対象を見て絵を描く眼がそう見たように描くのが正直だと感じます。
心地よく見えれば、それは写実だと思う。
そんなことをここ数日考えて、どう考えてもそっちに軍配が上がったので大作もそうすることにしよう・・・と思います。やってみないと。。
まだはっきりとはしないけど純粋な直感で決めていきたいと思います。
感動を描いていこう。
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