倉敷も描くかな?

毎年この春の芽吹きの5月ごろまでは体調がどうもおかしくてシャッキリしないのが常でした。

年で鈍くなったのかもしれないけど昨日から体調が良いような気がします。
昨日は夜も絵が描きたくて2点始めました。お昼も水彩を描いたし。。
大事な油彩の仕上げは夜はやめておきました。

サイズは3号と小さいのですがこの間倉敷に行って、取材してきたところを絵にできないかなぁ。。と始めました。

この橋の向こうの建物は小さな江戸時代の蔵を改装して1950年に開館した倉敷考古館。
上に可愛い雲が浮いていて、かわいい絵になるような気がしたのです。
倉敷は何度か描こうとしたけれどスケッチさえろくに描けた記憶はありません。

20代、倉敷に住んでいた頃この美観地区は目と鼻の先にあったんですがほとんど行きませんでした。

今でも近くにあるからか、建物がたくさんで複雑だからか、描くのを避けてきました。多くの人が描いている観光地だからですかね。。

少し前、少し複雑でしたがフランスの街角を描いてみて省略が上手くいきました。

そんなふうに描けたら面白いかも。。

思い立ったらやってみることにします。
画像は4月に行った時、ちょこっと取材したところ。まだ描き初めの構図の段階です。
昨日描いていた水彩も仕上げました。

真ん中の白バラが、影に入れると美しくなかったので思い切って明るくしました。

さて、今日は仕上げたい油彩を心を落ち着けてやってみます。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    ねこぱんちです (木曜日, 05 5月 2022 15:27)

    ごく、ごく最近なのですが、
    ゑで 嘘んこをつく事も
    良いんじゃないか
    と、思い始めました。
    クロッキーで見たものを
    そのままに捕われず
    かたちや色だって
    ゑ としては嘘をついても
    自分が嬉しいものになれば
    いーじゃん!!
    と・・・
    ただ、それが単に傲慢なのかもしれませんし、成功とも言えません
    そこの処が迷いに迷う所デス

  • #2

    山本佳子 (木曜日, 05 5月 2022 20:04)

    ねこぱんちさま

    そーですとも。

    自分の絵が1番好きにならなくちゃ、いけませんものね!
    サラッと上手く行った絵はそれでよし。でもまぁ、その後「違うだろ。。」と思うこともしばしばですが。

    自分が気分良くない絵を描いてしまったら私はその日、ガーンと落ち込みます。病みそう。。

    だからなるべくそこで終わらないように粘って、そこを抜け出て終わります。
    多分描けないと思う絵はその日は目を背けてみないようにすることもあります。

    クロッキーはその時のその時間で終わりなので結構力が入りますが、気分良く描けたものは後になっても納得することが多いですよね。

    全くウソでもなんか面白いものができたら、対象と形が違ったり、モデルさんと体重や身長や年齢が違ってもいいんじゃないかしら。
    のっぺらぼうでも、指が描けてなくても、脚が片方描ききれなくても、お尻だけでも。。

    何か掴めたらそれは絵を描いた。。ということです。

    傲慢だと思えばそうかもしれないが、それを許す絵を描く自分がいる方が楽しいですよね。。

    はー、今お昼に描いていた絵をダメって壊してしまったんです。
    それでこんなコメントを返しましたが、、、

    「嘘をつく」とは「いかに本物より、そう見えるように噓をつく」かです。それなら、自分が納得します。
    本物よりもそれらしいなら、それこそ絵を描く意味があるように思います。
    それを言い忘れました。