明日は搬入

明日は岡山梨花会展の搬入です。
昨年より出品者も作品も少し減る?と思っていましたら、なんと、少し増えました。

80点以上となり、展示できるかどうか。。なんとか二段掛けも許していただいて頑張って全部展示します。

今日はちょっと準備と制作も少し、そして小さい娘の顔だけの0号も描きました。
昨日は朝クロッキー、昼からは人物画の教室で一日中描きました。

昨日、少し思うところがありました。
これから夕ご飯の支度なので、また後ほど更新します。

ご飯食べて、明日の準備も少ししました。
そして、先ほど何年も放っていて水と少しの時々の液肥だけで生き延びていた観葉植物にやっと土と肥料を少し足してあげて気持ちが楽になりました。

さて。。昨日思ったところ、とは。

デッサンについてある先生からいただいたお話がドンピシャ心に止まりました。
「クロッキーやデッサンで見せることのできる力で本物の絵が追求できているかどうかはわからない。」ということ。

私はそこに腑に落ちるところがあって、つまりは昨日描いていた時にいただいた話なのですが私のクロッキーやデッサンは上手く描けるわけではないけど向かっている方向がそっちなら方向は間違っている。
追求の末に何か出てきて誰かをうならせたり、感動させたりできるようなものでなければ本物ではないです。
追求できているか?

昨日私は線一本もまともに引けませんでした。それが答え。
描かないといけません。もう少し、いや少しではなく、もっともっと!

これが昨日得たことでした。

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コメント: 4
  • #1

    minchou (日曜日, 26 1月 2020 22:04)

    こんばんは。初めまして。

    その先生のアドバイスは、つまりは余りデッサンを一人歩きさせるな、といったことなのでしょうか。
    もしそうならば非常に難しい問題ですが、もうすでにある完成度に達していると思われる山本さんの人物画が、それで今後どう変化していくのか。大変楽しみです。

  • #2

    山本佳子 (火曜日, 28 1月 2020 16:05)

    minchouさま

    初めまして。

    コメントありがとうございます。そうですね。
    その先生がおっしゃるにはクロッキーやデッサンは制作のための元となるものであるべき。という意味だと感じました。そういうデッサンをしたいということだろうと思います。

    私はクロッキーやデッサン自体が作品として存在することはあるとは思っているのですが、技術を磨いて描けるようになり、道具も操れるようになって上手くなってもそれだけではは面白くないですね。
    つまりは命が吹き込まれたようなクロッキーであり、デッサンであれば面白い。たとえ、辿々しいうまいとも言えないように見えるクロッキーにも命が吹き込まれたようなものがあるかもしれないし、うまく描けているデッサンにそれがないものもある。

    気持ちで描くことを大事にしたいと思います。
    一人歩きさせないように、気持ちを込めて描いていきたいです。
    うまく言えませんが、多分、その先生と言われたことと近いところを私も思っています。

  • #3

    マルイ (木曜日, 30 1月 2020 01:49)

    その先生の言われたこと 私はよく分かりませんが クロッキーやデッサンも 立派な芸術です。ただ もしかしたら 表面だけを描くな 小器用に描くな お前の絵に 心が入っているか もっと心を込めろ と自分なりに解釈しました。すみません。生意気なこと 言って。

  • #4

    山本佳子 (木曜日, 30 1月 2020 07:06)

    マルイさま

    その通りです。
    その先生は自分への戒めというか、ご自身の仕事について、おっしゃいましたが、私はその場で自分の仕事についてもなんだか、恥ずかしくなりました。
    非常に自分のためになりました。

    マルイさんの言われるとおり、私の絵はつまらないものになっていないか?真っ直ぐに進めているか?そう問い直すことができました。
    そして何より、線が自由にならない現実にガッカリして、もっと日常的に線を引かないといけない。。と身にしみました。
    出来るだけ機会を得たいと思います。
    私が目指そうとするところにとっては器用なんていうものは、間違えばほとんど邪魔をするくらいなものですから。

    真っ直ぐに進みたいと思います。
    ありがとうございました。