画家になる道

今朝、可燃ごみを捨てに行って帰り、山法師の実が落ちていました。

かわいいと思って拾って帰ったら早速、ピーチャンのおもちゃになってました。最後はかじっていましたが山法師の実はべられるからいいか…。

 

さて、今日はお天気が良いので100号を描きます。頑張ります。

 

絵というものは正解がこれと人が教えてくれることはあまりありません。ただ、ここ最近は確信に近いものがあって、その確信が揺らいで次に気持ちが行くまではまっすぐ進んでみたいと思っています。

制作、100号になると相当の感動と表したいものが見えていないと絵になりません。表現できるかどうかわかりませんが日展のも頑張っています。

 

そう、間もなく個展のDMができてきます。100号と同時進行でどれだけ作品ができるか、どれを持って行くかこれからもう少し時間があるので描きながら選んでいます。

 

県展から始まる制作シーズンはひとつづつはじめ、最初の50号、それだけに気持ちも時間も注ぎ込み2,3か月要していたころもありました。

でも今は絵描きの日常だけは他の事と違って同時進行可能です。

ストレスはありません。たくさん並行して描くことが上手くそれぞれの絵に響くような気がします。私が画家になれるかどうかは本当の感動をどれだけたくさん描けるかにかかっているように思います。

 

きっと絵だけは飽きないし心うつりはありません、そして真剣だと思う。もしかしたら本物の画家になれるかもしれないと思っています。

 

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コメント: 2
  • #1

    由三蔵 (水曜日, 10 9月 2014 02:21)

    こんばんは~。

    いつも貴方のブロブ観るのが楽しみです。
    なぜかといえば、芸術に対する誠実な気持が読んでいると伝わってきて、こころが温まる感じでしょうか。
    絵描きは、まあ自分も含めさまざまな人が絵を描いているのですが・・・ホンモノというのがどの辺に在るのかと思った時、自分自身とどれだけ正直に向き合うことができるかということでしょうか。商品を生産したりしている人も正直でなくてはいけないのだろうが、あくまでタイムイズマネーであり利益が最優先ですが、絵を生産するとは云わないでしょうが、まるでそのように何点も並べて一つのスタイルで描いてる画家もいるようです。そういう方々も画家でしょうが、本物の画家と云った時には・・・どうなのでしょうか。
    なんだか、変ですがホンモノの画家とは詩人と同じところに存在するような気がします。またある種の呪術の仕事に近いものだとも思います。

    本物の画家に成る事をこころから願っています。^^)
    機会があれば貴女の作品を是非観たいと思っています。

    この度は、コメントが長くなってしまい申し訳ありません。

  • #2

    山本佳子 (水曜日, 10 9月 2014 09:30)

    由三蔵さま

    いつもありがとうございます。
    本当にまじめではあるのですが…いやいや自分の理想を記してみているのかもしれません。
    私の絵はまだ荒く、欠点だらけです。上を見ると空高くその道は続いていて本物はその先、道は一つ。
    見ていただく機会がいつかありましたらそのとき1点でも心に響き、届くものができているとうれしいです。

    向かう方向の確認のため日々、絵を描いたものの記録で絵日記も付けているようなことです。

    個展も運よく企画をしていただいています。私がうまくその場を自分のものにしながら企画してくださった側の期待にもこたえられることが理想です。舞台が大きすぎて怖いくらいです。

    絵の出来はおいておいて、確かに詩人と同じですね。一つの感動を薄めることはできません。一つの感動は1点だけに集中しないと私の場合は無理です。
    彫刻は9体?まで鋳造ができ、真作扱いになりますが、作っているときは、やはり1点ですね。
    絵の場合も何点も並べて同じ感動を描きならべることには無理があると思っています。一つの感動を描き終えてなお、感動が余るとき小さい絵ができたりはしますが、めったにないこと。

    今日もコツコツ頑張ります。あたたかいコメント励みになります。ありがとうございます。