ハレとケ

今読んでいる本があります。
『日本の美を語る』という本です。

その中に「晴れと褻(ハレとケ)」ということが出てきて、なるほどなぁと思いました。
時間の捉え方と文化、美術との関わりが語られているのですが、「ハレ」は祭事、日常的でない時間を意識するためのもの、「ケ」は日常なもの。
私は難しいことはわからないのだけど絵、美術のことと重ねて気がつくことところがありました。
「褻」は日常的なもの、つまり私にとっては日々の小さな絵描きであり、スケッチ的なもの。
「晴れ」は祭事、日常的でないもので年間行事として大作の制作。
知らず知らずにその大作の制作をすることで時間や季節を意識するようにもなっています。
この、両方がとても大事なのだ。。と感じました。



「穢れる(ゲガレル)」は「ケが枯れる」という意味もあるそうです。その本の中には「褻」=「日常的なもの」だけでは枯れる。「晴れ」=「日常的でないもの」がないとダメなんだ、ということがありました。

なるほどなぁ。。スケッチ的な絵だけではダメで、やはり、計画や考えが必要な制作も大事ということ。制作って「祭事」だもの。。今年からよりしっかりと準備してお祭りごととしてやっていこう。
そんな風に改めて確認しました。

年明けたので「ハレ」をやらなくちゃ、そろそろ50号に取り掛かろう。切羽詰まってきました。

もうひとつ気がついたことがありました。
私ったら本を読むのは苦手と思っていたけど長年のうちに絵描きの頭になって、絵も感覚で描くものだから、本まで、難しいことは飛ばして感覚で捉えてるな。。きちんと読むには時間も頭もないもの、これでいいんじゃない?と。。

画像は元旦から掛けている玄関の書の作品。高木聖鶴の「春立つや しづかに 鶴の一歩から」と、玄関にいけた珍しい2種類の蠟梅。その書の持つ緊張感と蠟梅の放つ清々しい匂いで気持ちが引き締まります。