早朝、100号の前に座りました。まだ娘は出て行っていなかったけど、時間に余裕があったのでいったんアトリエに。
眺めているといろいろなことを思います。
メモしておこう。
今年、はっきりと打ち砕けた…と思ったことがありました。
絵を描くうえで…
表現は徹底的に自由であるということ。
そこは何よりも前に来ないといけません。
その意味がはっきりした。
今まで出来ていなかったこと、それは見えていること(客観的なもの)と自分が描きたい絵(主観的なもの)との行き来です。そこが今まで「ダメなんじゃないか」と自信がなくて自由でなかったんですね。
客観、主観をはっきりわかっていて表現することはすべて正しい。
絵を完成させるために必要なことです。
ともすると正しく見える客観的なものに引っ張られる。そうすると絵が描きたくない方向に流れます。自由でなくなって縛られる。主観的なものは答えがないし、いくら確信があってもだんだん揺らぐ。それが正しいかどうか確信をもって示すのは控えようとする。そうすると表現は自分から離れてしまうんです。
それにはっきりと気が付いた。
正しいと思い込んでいること、間違いだと思い込んでいることの両方を行き来することで絵は翼を得て飛べなかったところを自由に舞えます。
こういうことをはっと気が付かせてくれるのはきっとそういう神様がいるのかもしれません。
嬉々として、私らしく自信をもって進もうと思います。
ただ、ただ、好きな絵を描く時間が許されている。
それが今できること。十分です。
コメントをお書きください
はる (水曜日, 06 9月 2017 22:31)
凄い、面白い。そうか客観と主観か、考えたこともなかった。なるほどなぁ。。あんたは偉い!
山本佳子 (木曜日, 07 9月 2017 00:11)
はるさま
今年の夏はほぼ毎日6時前にアトリエを開けに行って、絵の前に座り、いろんなことを考えました。
だって、描きたいように描く以外にないだろう…
描いていくとなるようになっていく。それが客観的におかしくたって、その絵には必要なんですもの。
それで理屈がついちゃった。
そんな感じです。
絵描きのメモです。
なるほど、と言っていただいてとても励みになります。
ありがとうございます。