つい、先日のこと。
「あなたの絵はこの曲そっくりです。
そして、もう1つ○○の○○・・・○番が…それも最初の1分30秒がまるで山本さんの絵、そのものなのです。ぜひ聴いてみてください。」
静かにそう言ってCDをくださる方がありました。ピアニストのCDは持っていたけれどそのアルバムは知らなかった。
そしてその曲を聞いてみると…しっくりとくる。その中の1曲は心の奥にある何かに触れるようなそんな感じがしました。危険な感じさえする。
こんなことってあるのですね。
本人以上に…いや、私がぼんやりなんでしょうが、見てくださっている人があると思うとそれはたとえようもないこと。
自分のことは見えていない。制作し、自分が何をしているか、どのように映っているか、それを他人(ひと)に教えてもらえる時があります。
はっとする瞬間です。
純粋に絵を描くことはそれはそうであるけれど、自分では見えない自分を教えてもらえる瞬間があるなら、何をしたかという答えを教えてもらえるなら…。
私はこれからも答えはわからないまま多分夢中で描くでしょう。
「きっと見ていてくれる人がある。」そういわれた先生は1人や2人ではありません。今までそれは「認めてくれる人があるよ。」ということだと思っていました。真実だと思います。それだけでも十分だけどもう少しプラスの意味があるようです。
今日も絵描きのメモでした。
明日は人物画の教室。何か伝えられたらよいのですが…。そうそう地元岡山での個展の時期が1週間間違っていました。2月17日~でした。後にずれたのでほっとしています。
また近くなりましたらお知らせします。
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k.chiba (土曜日, 26 12月 2015 00:10)
私は先生の作品を日展で拝見し、他の作品も拝見したくてネット検索し、こちらのホームページを見つけました。それから一水会展で先生にお声をかけさせていただきました。知らない先生に、どうしてそんなことが出来たのか不思議です(こう見えて人見知り)。
自分の琴線に触れる作品に巡り合えたのは、私にとっても幸せなことだと思います。
山本佳子 (土曜日, 26 12月 2015 09:56)
k.chibaさま
いつもありがとうございます。
そんなに特別なことだったとは…。不思議なことですね。
千葉さんが人見知りなんてまた不思議な感じです。だって、私にお声をかけてくださったんですから。あの時、そして個展にも来てくださり、とてもうれしかったし、私にとって幸せな瞬間でした。
作品がつなげてくれたこと…これからまた響きあう瞬間があるかもしれません。楽しみにしております。
山本佳子 (土曜日, 26 12月 2015 11:20)
そう、思いついたのでメモします。
「評価は人がすること、任せておけばよい。われらは描くだけだ。」
そう言ったのはセザンヌです。
確かに…。