肖像性と象徴性

美しい景色は昨日の夕方の上野精養軒からの景色です。

一水会の忘年会で上京していました。

不忍池は蓮が枯れていい感じに紅葉の終盤が映り込んでいます。

さて・・・今日、帰りに気が付いたことがありました。

人物画を描くものとして、「ああ私は肖像性ではなく象徴性を描きたいんだ」と。


娘を描いていますけれどもそれは娘そのものに向かっているのではなく娘のその時の年齢の子どもの持つ、共通した魅力というか絵描きが描きたい点に向かって描いているように思います。


安井曾太郎先生は肖像性が強いように感じるし、そのお弟子の中村琢二先生は象徴性が強いのかしら…。いわさきちひろは象徴性。松岡寿は肖像性。


ここのところは絵描きのもっているものなんでしょうね。自画像を描いたって、象徴的な感じになる人もありますから。


先ほど帰り、ご飯を食べてちょっと落ち着きました。

明日からはまたしばらく絵描きの日常です。

そう。後輩に伝えなくてはいけないことがたくさんあります。先輩からたくさん良い話を聞きました。それから自分のことについても言葉にできない具体的な励ましを頂きました。そこも含めて絵の世界は深く優しく、広く厳しいものなのだということを心に留めたいし、絵を描いている人に伝えたいと思います。全部受け売りだけどすべて、はっと腑に落ちることです。絵描きの日常の大事な基礎の部分になると思います。

私は頭が良くないので、受け売りの早くしないと忘れる。・・・忘れるというより身にしみ込んで言葉としてははっきりしなくなります。以前も後輩を前に何か伝えたけどそれは忘れてしまった…なんだっけ?


…とても有意義な東京でした。

光陰矢のごとし・・・


今を大事にしないと。