教室でした

我が家の庭は今の季節、草のジャングル・・・。


毎年の光景です。

きっとご近所さんはこの家は一体なんだと思っておられるだろう…。庭に出ないで玄関の出入りが少ないからこの間は玄関の横に危うくアシナガバチガスを作り描けていました。


主人は一切お庭仕事をしません。私もほとんどこと時期はできずでもう荒れ放題です。


でも季節の草花は咲いています。

整備されたお庭にはないお花が多いですがね。


この花は…なんだろう。


さて、昨日はミカンの会でした。その前は地元の絵の好きな人たちの集まる教室でした。


モチーフは冬瓜に梨、毬栗、それに花束が2種類。


一昨日は教室では吉備路、大山などの風景画、それに倉敷の美観地区などの風景画など制作中の絵を持ってこられた方々がありました。


皆描いてますね。私も見習って毎日描こう。


お昼を一緒に頂いて昼からは父親にパソコン操作を教え(知識はどちらも独学、同じようなものですが…)、時間が中途半端な夕方となってアトリエには入れませんでした。

昨日ミカンの会では伝えようと思ったことをもって出掛けまして…。

これはどの教室でも一緒なのですが、「人に後ろから押してもらうことはできませんよ。講師なんて一緒に描くか、教室の場にいて気が付いたことをちょっとだけ言えるか言えないかくらいの存在です。自分でやってみないといけません。」そして、お茶の席では私がなんとなく構想の段階で共通点があるなあ…と思っている香月恭男、森芳雄、山口薫などの画像を見ていただいて「こんなに強烈な絵を描ける人は1人でどんどんやってます。人との関係は最小限にして描いています。ひとりの方が効率もいいんです。私たちはおとなしすぎる。やりたいようにやらなくちゃ!どんなに激しく描いたって、捕まりませんから、やってみましょうよ。」なんて上は80歳、年上の方に向かって生意気を申しました。


すべて、自分に言いたいことです。

おとなしすぎると思います。もっとやりたいことは進めないといけない。



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コメント: 4
  • #1

    くみ (土曜日, 05 9月 2015 18:12)

    今日の先生の日記を拝見して、元気をいただきました。

    ひとりになってから、気を使わず自分の好きなように描いています。
    でも、たまに他人の絵の中で自分の絵を見る機会があると、自分の絵が如何に弱くて軽いかを思い知らされます。
    狭い世界、数もたくさんは描けませんが、続けていけたらと思っています。


  • #2

    山本佳子 (日曜日, 06 9月 2015 19:09)

    くみさま

    お久しぶりです。
    作品拝見しました。素晴らしかった。頑張っておられますね。

    私もそういう機会が年に何度かあって、そのたびにそう思いますよ。一緒です。
    最近気が付きましたが今生きている自分の生活が作品には出て参ります。ですから「自分が目指すもの」は生活も絵も共通でなくてはならない気がします。両者はだんだん近づいていかないといけないと思っています。それはなかなか大変なことです。

    私の生活と絵はものすご~~~~く離れています。恥ずかしいほど。

    ですが、目標としては近付けようと思っています。芸術家みたいになれるかなあ…
    ちょっと気になるひとりって?時間を得たということでしょうか?
    楽しんで描ける時間を得られたのなら最高です。たくさん描けるといいですね。

  • #3

    くみ (月曜日, 07 9月 2015 21:31)

    好きな絵描きの先生から直接言葉を頂けるなんて、本当にありがいことと思います。ネットってすごいです、お忙しい中ありがとうございます。
    自分の生活はどうか、目標は何か??
    今一度思いながら、描き進めていきます。

    「ひとり」は、教室に属さず指導を受けずにという意味で・・。
    基礎も出来ないまま自分だけではかなり不安ですが、今は慎重にならざるを得ません。

  • #4

    山本佳子 (月曜日, 07 9月 2015 22:00)

    あ~よかった。(変な心配をしてしまいました。)

    そう、描きたい絵の方向は見えている方がいいですよね。
    きっと、描いていれば見えてきます。私は見えたり、見えなかったり。
    ただ、「どうだろう?本当にこれが描きたい絵だったか?近付いているのか?」と常に考えていかないといけないな~と思っています。そうしないと近付いていくどころか、なんだか思わぬ方に行ってしまっていたということも起こりますから。

    見えるようで見えない、もっと見たいから続くんですね。
    楽しんで描きましょう。