ひとつわかる

今日ひとつわかったことがありました。(思い違いかもしれませんがね。)


う~んと・・・その時の気持ちでたとえば色が濁ったり、絵がよわ~くなったりしたら、その濁ったところ、弱くなったところで絵を作ればよいということ。


それを無理して明るい色に直したり、絵を強く変える努力をしたりすることはうそになるってこと。


今日の絵は濁りました。

濁ったところでまとめてみようと思った。すべてが濁りのある色だけどいいんじゃないかと思います。

とはいうものの自信はないのです。明日はだめだと思うかもしれません…。

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コメント: 2
  • #1

    由三蔵 (水曜日, 15 4月 2015 02:50)

    こんばんは~。

    絵を習っていた若いころ、油絵を描いていてよく言われたのが色が濁ってはいけないと・・・。その時の先生は黒色を使わないようにパレットから外させられました。
    今思うと、それはそれで濁らない絵になるかもしれない。でも、そういったことは自分で絵を描いて、思考錯誤の年数を積み重ねていくと濁りの中の美しさを発見したりする訳で・・・濁りとは何かと思えば、混沌とした世界観が現われてくるような、世界の始まりを感じたりもする表現に近づく方法論ともなっていく。
    そんな風に思った事をブログを読んでいて思いました。
    現代の美術を模索するような言葉を感じました。

    自分は今、墨で絵を描いているのですが、一流の水墨画というのではない、色は有りませんが濁りのある墨絵のように思います。いつか、ぬけるような濁りの無い墨絵を画けるようになりたいです。

  • #2

    山本佳子 (水曜日, 15 4月 2015 08:16)

    由三蔵さま

    おはようございます。昨日は早く寝てしまいました。
    投稿ダブっているとか?そんなことはなかったので2つ目のコメントを消させていただきました。

    考えが重なる部分があるのかも…とうれしくコメント読ませていただきました。
    そうでしょうね。墨で描いても濁りを感じるものとスッキリと濁りなしの絵があるようにも思います。

    いろんなことを考え、絵の道もまるで人生のようです。
    楽しいし、苦しい。
    苦しいより少し楽しいの方が多い?
    だから続けているのだと思います。