制作が物足らない日は筆を洗った後ももやもやしています。
いつも教室では「ここではだれにも怒られないのだから、好きなように描いてください。面白くないようにしてしまわないように、(まともで面白くない絵を描こうとする)自分からはみ出してください!」なんて言いながらみなさんのおしりをたたきます。
でもそれは自分への言葉でもあるのです。
自分の中に閉じこもっていてはそれ以上にはなれないのです。
少しずつ右へ左へゆれて一番気持ちの良いところを探しながら描く、わからない間は相当無駄なほどゆれてみるのがいいのではないかな。
今日は油彩を描いた後、筆を洗ったのですがどうももやもやして、ちょっとわーーっと描いてみました。
こんなことしたら筆は傷んでしまいますが、今の私にはどちらかというと筆をやさしく傷まないように使っていくような絵描きは合わないないようです。日常生活でも もう少しゆれてみることが必要なのかもしれないと思っています。なかなか勇気がいります。
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はる (金曜日, 06 3月 2015 21:25)
シンフォニーのように計画的に組み立ててゆく西洋音楽に対して私たちは浄瑠璃や三味線のような無駄な音の揺れや即興的な音楽に愛着を感ずるように思います。どこか風とか光とか空気のようなものを感じる上の絵が好きですね。
山本佳子 (金曜日, 06 3月 2015 22:29)
なるほど…三味線、わかるような気がします。
無駄な揺れも必要…ただ、私のは無駄が多すぎ、洗練されず荒削りです。
揺れ幅を多くとってその心地よいところに着地する練習を重ねたいと思います。
はるさま、はっとさせられました。ありがとうございます。