日ごろ思うところを思うまま綴っていますが。
絵描きの記録なのでうろうろとしております。昨日はやっと半年ぶりにエンジンオイル交換なるものに行ってみました。
車がピットに入ろうとしたとき娘の小学校の担任の先生より電話・・・!!
でも帰ると・・・給食を横目に見て帰った娘の食欲は健在、ひと安心でした。
今日もお弁当持って遠足へ出かけてくれました。ほっとした。
最近、日頃、すぐに影響を受けてしまう私ですが最近少し頑固になってまいりました。
自分にはいい加減なところ適当なところもあってそこは弱いところでもあります。でも、それを直そうとして絵が面白くなくなるより、もっといい加減(良い加減)になって面白くなったほうがよいのではないか。。。
そんなこと思います。
絵を始めたころデッサンデッサンと基本的な技法を勉強していました。本物にいかに近い絵を描けるか。いかに正確に表現するか。そんな感じでした。
でも、最近はそれが絵を描く本質ではないような気がしてしまいます。ある先生とお会いする機会があって「正確に描ける人は描けるし、描けない人はずっと描けない。 ただ、描ける人が魅力ある(何かある)絵を描けるかと言ったらそれはそうは言えない。描けない人が魅力ある絵を描くときはある。」そういう話になりました。
そう思います。自分もある程度のデッサンはできますが、絵は違うところで描いている感じです。上手く描いてみようなんて思ったら自分の場合(よく思うのですが)途中でまったく面白くなくなってつぶしてしまうの100パーセントに近いと思います。絵から離れてしまうんです。気持ちも絵の向かってほしい方向も。
「弱いところは長所であり、それがその絵描きの特長にもなる。」とこの間ある方に教えていただいて、妙にスッキリしています。
普段、物の形や空気を描くためにデッサンは絶対に必要ですが、絵を描くための練習と思っています。
弱いところは弱いまま。
絵は結果、自分が描きたい絵になっているかどうかだと思います。
そのために技術を磨くことに四苦八苦の絵描きの日常です。
なかなか難しい!
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teshi (木曜日, 02 5月 2013 10:54)
いつも絵を描く気持ちを持続させる話があってありがたいです。
肩ひじ張らずに描いて、自分が納得できる絵になったときは気持ちがいいです。更に、その絵を見てくださった方が感動してくださると嬉しくなります。
「物の形や空気を描くためにデッサンは必要」は心にとめていきます。
かつ子 (木曜日, 02 5月 2013 14:06)
50歳過ぎてから突然趣味で絵を描きだした私にとって、
とても励ましになるお話と受け止めます。
山本佳子 (木曜日, 02 5月 2013 19:28)
teshiさま
いつもありがとうございます。
そうですよね。肩ひじ張ってよいことなんてありません。
「肩の力を抜いて、ゆっくり、のんびり」師の言葉です。
気持ちだけは大きく強くゆったりと持ってあとはいくら力を抜いてもいい気がします。
山本佳子 (木曜日, 02 5月 2013 19:32)
かつ子さま
絵は人の生きざまを描いているようなもの。いくらお歳を重ねられてからはじめても絵というものは重ねてきた人生が出てきます。私が教室の大正生まれの方には及ばないのは当たり前。
ただ、その方の描く絵が分かるのは私の目が見えているからと思います。
たのしんで自分の絵を描くことが大事ですよね。
かつ子さまの絵も私は大好きです。
はる (金曜日, 03 5月 2013 13:37)
難しいですね。でも、だからこそ面白いのかもしれません。私はいつもこんな風に思っています。
「風は姿かたちが見えません。
梢が揺れる様子やひゅーひゅー鳴る音を聞いて、人はその存在を知ります。
絵や音楽や言の葉はこの風音に似ています。見えない心のかたちをそのざわめきで見せてくれます。
絵を描くとはそのための道具だと思います。
何処まで深く掘ることが出来るか、絵を描く事で探ってみたいと思います」
生意気な事かきました。それではまた。
山本佳子 (金曜日, 03 5月 2013 23:22)
はるさま
こんばんは
そうですね。難しいけれど面白いです。
とりかたによってはブログにかいた自分の言葉も違うように取れたりします。
風が吹く方向が見えることがあります。
感じるのかもしれません。
明日は久しぶりに家族サービスで北の早春を見に行きます。でもそれは一番は自分のため。
いろいろとアドバイスいたきありがとうございます。
私ももっと神経を研ぎ澄ませてまいります。
絵や音楽それらが自然の風や音、それらと同じくらいの力を持つことを信じて・・・その方向へ絵を進めたいと思います。
ありがとうございます。
はる (土曜日, 04 5月 2013 13:53)
もう一つお節介ついでに、こんな文章を見つけました。何か参考になればと幸いです。
美術の窓2013年5月号p94「日本人の基層心理」宗雪孝夫より
「・・画家になるために絵を描いてきた人と、絵を描いて画家になった人がいる。前者は表現することの必然に無頓着でいられるが、後者は表現する事の必然を必死になって模索する。自分の心底をみつめ、心に嘘はつきたくない、という思いからである。・・中略・・表現する事は外界を写すのではなく内界を写すことだ、ということを突き詰めるとそういうことにならざるをえない。その図式は文字によって思考する作家の方がはるかに顕著だろう。物語の誕生に立ち会うということは、未整理のまま取り残された深い闇や、意識に生きえなかった過去の自分と対峙すること。物語を書くことの底流には「胸が張り裂ける思い」へのカタルシスが流れている。・・」引用終り
山本佳子 (日曜日, 05 5月 2013 08:50)
はるさま
いつもありがとうございます。参考にさせていただきます。
一生懸命描いていきます。