この間、お墓参りに実家に戻った時、すでに他界して長い私の祖父母の懐かしい写真を見せてもらいました。結婚式の記念の写真から30年ほど前のものまで。
母方のおじいちゃんおばあちゃんです。まだ、写真屋さんの電話番号も30番とか、そういう番号でした。もちろん右から読むのね。
祖母は下の名前を「金子」といいました。
確かそのお母さんは鶴さんだったか、亀さんだったか…。
その金子さんが、母が私を生んだときに着物を着てお世話をしてくれている姿の写真がとても素敵だと思いました。
なんとおばあちゃんの優しい美しい笑顔…。
その金子さんは若い時、日本人離れしたはっきりした目鼻立ちの美しい人でした。はっきりしない私、似たかったなあ…。
おじいちゃんは「正夫」といいました。海軍でのことの話をよく話してくれました。特に戦友の雄姿については熱く語ってくれました。
祖父は沈没する戦艦から飛び込んだけれど真っ黒な重油で海面がどちらか分からなかった…そこにお守りが浮いて海面を教えてくれ、とてつもない距離を泳いで帰った。
へその穴から終戦を見ていた母は第3子。
戦争中男手をとられた間に農地法でとられた田んぼを苦労して取り戻したこともそれから国鉄に最後まで勤めながら農業までしていたおじいちゃんはハサミひとつもきれいに研がずしては一日の仕事を終えなかった几帳面な人でした。
今のハサミは私たち現代人に合わせて、普通は研がない、研ぐことに耐えられないものが主流…。本当にそちらに流れていいのか?
戦争を知らない私たちが忘れてはいけないもの、忘れかけているものを祖父母のころの人たちが持っている…。明治大正生まれの人は本当に日本の誇りだと思います。
そう思えてならない今の時間…自分に問うてみることは多々…。
つぶやきでした。
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